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未来を見つめて・・・
42歳で乳がん告知(Stage II-b)。米国シアトル在住のサラリーウーマンが、乳がんと闘う記録。





2019.05.27 またかよ。


すご~~~~く久しぶりに、まだ自分のブログが残ってるのかどうかも分からず、ページもお気に入りにも入ってないので自分のブログをググってみた。
タイトルだけ入れても出てこなくて、幾つかキーワードを入れてやっとココにたどり着いた。
もうここのパスワードさえ覚えてなくて、ログイン出来ず。

もうここには戻ってこないと思ってたんだけどねぇ~。
舞い戻ってきちまいました!

タモキシフェンも5年で終了し、毎年のマンモも問題なくクリアして普通の生活が戻ってきてたはずなのに。

またかよ。(*`へ´*)

というのも、今年2019年の初めに今度は左側に乳がんが見つかってしまいました。
でも再発ではなく別物の乳がんだったのは本当にラッキー。

アメリカの保険制度は面倒なことも多く、まずはFamily Doctorに会ってチェックアップをしてからマンモの予約を入れてもらわなければならない。
毎年の検診は手術をした時期がリマインダーになるので、10月か11月にしていたんだけど、保険が変わってから私が選んだ一般担当のドクターが次々と辞めてしまい、マンモの予約さえ取れないまま年を越してしまった。
やっと新しいFamily Doctorを見つけて年に一回の健康診断に行き、やっとマンモの予約を入れたのが1月終わりだったかな。
そしたらそのドクターが「あなたの乳腺はDenseだから、念のため毎年MRIもやっておいた方が良いと思うわ」と軽く言われ、右をやったんだし、Extremely Denseって言えば保険で毎年の検査も認められるはずだから注文を出しておくわね。

と言われ、MRIなんて面倒だなぁ~と思いつつとりあえず予約を入れた。

細かいことは省略 - Long story short 2019年の2月~3月の間の出来事。
MRIで左胸に線のような影が映っていた。次にウルトラサウンドを勧められる。
ウルトラサウンドはクリア。何も見つからなかったため生検出来ず。
MRI Biopsy(針生検)の結果DCIS (Stage 0)の診断を受ける。

乳腺外科の先生が最初にMRIを勧めたFamily Doctorのお手柄だね!と言うほど初期の段階だと言われた。
再発ではなく左胸に別の新しく出来た乳がんだから、PET Scanや骨Scanの必要はないと言われた。

最初は温存手術でパパっと済ませればOKかな~なんて思っていたら、MRIに映った「線」の部分とその周りのマージンを取るとなると普通の胸の形を残すのは難しいと言われてしまった。
それなら全摘して再建するのはどうか?
DCISなら全摘すれば放射線も要らないし、きっとChemoが必要になる可能性はない。
だったら左右一緒に再建してもらっちゃおう!

という事で、数日前に全摘手術を終了しました。

今回は1泊だけ入院した。今日で術後4日目。
仕事は6週間休んで、只今術後のリカバリー療養中。

でも、一回目もそうだったけど、痛みもほぼなく結構元気♪

もうココに戻ってくることはないと思ってたけど、一応自分の記録のために再建が終了するまで記録していこうと思ってます。

今回の事は親にも言ってないし、日本の友達やサバイバー友にもまだ話してない。
親もだんだん年老いてきて体調を悪くしたりなんちゃらあったから、言うつもりはなし。
友達は。。。特に今でも繋がってるっていうか、もうリアル友達になってるサバイバー友はびっくりするだろうなぁ。
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2013.10.21 術後3年


元気です。
プライベートでも色々変化があって、更新しなきゃと思いつつ時間が過ぎてしまった~
ブログをやめたわけじゃないよってコトで、ウンヶ月ぶりの更新。
実は今日本に帰省中で明日が最終日。
また現実の世界に戻ります。

3年前の今頃は手術中でした。
いやまだ始まるちょっと前だったかな?
それともそろそろオペ室に歩いて行ってた頃かな?
なーんてコトを実家でシミジミ振り返ってるなんて3年前には想像も出来なかったよね。

そして今回もお正月以来のオフ会で同病同期の仲間と食べて飲んで沢山笑って楽しい時間を過ごした。
忙しい中会ってくれた皆さん、本当にありがとう!
(写真とか撮ってなくて画像なしなんだけど、きっともっとマメに更新されてるブロガーさんの所で見られたと思われるので省略。えっ?!)
私は術後少し経ってからココでブログを始めたから、3年前にはまだ知り合ってなかった仲間たち。
でもそれからChomo中もハゲになったりして落ち込んだりしてた時、ネットを通して日本に住んでいない私を沢山励ましてくれて一緒に戦ってくれた仲間たち。
初めてのオフはDress Codeにウィッグってあったっけ?と思う程ほぼ全員ウィッグだったよね。
yさん曰く、えぇ~ウィッグに見えない位自然だよね~と言うのはご愛想だったらしい。(笑) (Sさん除く)

ただ一人だけ今回会えなかった人がいた。
Booちゃん、きっと横浜のお店(昼の部)にも東京のお店(夜の部)にも遊びに来てくれてたよね。
でも出来ることならもう一度会いたかったよ。

日本に来る前に主治医のオンコロジストと会って特に問題は無いと言われたけど、まだ今年のマンモが終わってないので正式には進級は出来ないんだけど、今日が3年目ってコトで記録に残しておきたかったの。

おっと、帰ったらマンモの予約入れなきゃ。

今もし告知されたばかりでこれから手術や治療を受ける事に不安を感じてる人がいたら、ギューっとハグして「大丈夫だよ」って伝えてあげたい。
3年経った今だからそんな言葉を信じられるけど、告知直後はそんなコト言われても信じられないかもしれない。
でも騙されたと思って信じて欲しい。
辛い時は辛いって愚痴ってもいいから。
人に頼っても全然イイから。
私も一人だったらココまで来られなかったから。

家族、リアルの友人、そしてこのブログを通して知り合った素敵な仲間たちに感謝します。

ありがとう。

p.s. 手術日が一緒だった池うささんも3回目のお誕生日おめでとう!
No.137 / つぶやき / Comment*11 // PageTop


2013.06.15 完走したよ


もう2週間前のことになっちゃうんだけど、Susan G Kemen の Race for the Cureに参加した。
Susan G Komenは乳がんの研究の為に活動するNPOで毎年全国各地で資金集めの為のイベントを開催している団体。

シアトルではいつも6月の一週目の土曜日にイベントがある。
2年前はまだ剥げてたし(笑) chemo後の体力が回復していなかった。
去年はCFAの試験を受けていたので参加出来なかった。
今年こそ、サバイバーとして参加したいと思っていた。

今年3月にブロ友さんのBooちゃんが天国に行ってしまってから、ずっと記事に書けずにいた。
Booちゃんの訃報はコーラスの練習中にyさんからのメールで聞いた。
いつも練習をしている教会の聖堂にいる時に携帯のメールで見た瞬間、息が詰まりそうになった。
余りに早い旅立ちに悔くて哀しくて、みんなが歌っている歌声を聞きながら一人で離れた席に行って泣いた。
実際にお通夜にも参列出来なかった私は、未だに信じられないし正直実感が湧かない。
初めて会ったのは、2011年の8月に私が帰省した時に初めてやったオフ会だった。
出産後のchemoもあって大変な時に生まれたばかりの次男君と一緒に出て来てくれたBooちゃんはお人形さんのように可愛い方だった。
あの時は数名除いてほぼみんなウィッグだったよね~(笑)
今日はその次男君のお誕生日だったんだね
次男君、お誕生日お誕生日おめでとう!
私とお誕生日が数日違いなんだね。
それから実は私と同じくフィギュアファンと聞いて、親近感がわいていつか一緒に大会を見に行きたいね~なんて
言ってたのに。
昨年シアトル郊外で国際大会があり観に行った時に、再発治療中のBooちゃんがちょっとでも笑顔になれるかも・・・と思って、会場で見かけたスケーターの選手に「大のフィギュアファンの友人が今癌の治療を受けているので応援のメッセージを下さい」って声を掛けたらみんな快くメッセージを書いてくれた。
アメリカ人の選手は結構普通に会場内をフラフラ歩いてて、声を掛けるとみんな普通に話してくれる。
選手がメッセージを書いてくれたプログラムをBooちゃんに贈ったらすごく喜んでくれた。

そして今年のお正月に帰省した時に初めてオフしたメンバーでの同窓会(?)で再会したBooちゃんはますます痩せちゃってたけど、でもお仕事も再開してきっとまた会えるよねって思ってた。
それから2ヶ月でBooちゃんは旅立ってしまった。

前置きが長くなったけど、今回このレースに参加すると決めた時、Booちゃんの為に走ろうと決心した。
去年他の5kに参加した時は殆どトレーニングもしてなかったし、途中で苦しくなって立ち止まったり歩いてしまった。
だから今回の目標は歩かないで5キロを完走するって決めた。
そして友人達にもFBなどで声を掛けて募金を募った。
それから2カ月、出来る限りトレーニングをして、疲れてるし走りたくないな~と思った時はBooちゃんのことを思い出して走った。
私が走って募金を集めればそれがこれからの乳がんの研究のために使われて、いつかこの病気を治す薬が開発されるかもしれない。
最後まで全力で頑張ったBooちゃんに負けないように、自分も頑張らなきゃって思った。
幸い私はこうして回復して、毎日走れるほど元気になったんだから。

トレッドミルだと何とか5キロ走れるようになったけど、実際に外を走ると感覚が違うし自分がどの位のスピードで走ってるのかわからず、突っ走ってしまいすぐに息が切れてしまう。
当日は更に周りに人が沢山いて、自分のペースを保てるのか不安だった。
初めに頑張り過ぎちゃうと最後までもたないし、ゆっくり過ぎても時間がかかりすぎて疲れてしまう。

緊張しながら迎えた当日は気持ちの良い青空で少し冷たい風が心地よい朝だった。
走りながら路上で応援してくれてる人の声が聞こえてきて、でも一人で黙々と走り続けなきゃならない自分とchemo中の自分がかさなって、いろんなコトが頭を巡った。
周りのみんなが支えてくれようとしてる気持ちはありがたいけど、治療中の苦しさは自分にしか分からない。
でも今自分はこれからサバイバーになる人のために少しでも役に立ちたくてこうして走ってる。
上手く表現できないけど、そんな気持ちだった。
苦しいと感じた時は、「ダメダメ、Booちゃんが見てるんだから」って自分に喝をいれた。

ゴールまであと少しという所で角を曲がって最後の100m位の所がすごい急坂で、マジかよ~って泣きそうになったけど、多分歩くよりも遅いスピードだったかもしれないけど、一度も立ち止まったり歩くことなく、最後まで走ったよ。
去年のタイムを2分半位更新。
そして今回も一緒に走ってくれた夫のRにも勝ったゾ~ \(^o^)/

乳ガンサバイバーはみんなピンクのTシャツ(他の人は白)を着ていてゴールラインに「サバイバーはこちらへ」ってサインがあってゴールしたところでSusan G Komenのメダルが貰える。
そして他のサバイバー達がみんな声をかけてくれて、涙が出そうになった。
でもトイレに行きたいコトを思い出して、慌ててトイレを探した(笑)
最後のグループの5キロのウォークに参加した人たちが全員ゴールした後は、サバイバーのパレードがあり、バンド演奏に連なって公園内をパレードした。



サバイバーはこのピンクの帽子とメダルが貰える。


会場内にMemorial Wallと言うのがあって、そこにBooちゃんの名前を残してきたよ。


小さくて良く分からないけど、約1万人以上の参加者が集まり会場内はほぼ全部ピンク


Survivors Parade
この仲間に入りたかった人なんて誰もいないと思うけど、不思議な連帯感を感じるのは何故だろう?




来年もまた参加したい。


No.136 / つぶやき / Comment*10 // PageTop


2013.04.30 三重苦?


あぁ~、また月が変わっちゃう~~

ご無沙汰してます。私は元気です。

先月戻ってきたとほうこくした『月のモノ』
ヤッパリ私の勘違いじゃなかったらしい。
ちょっと遅れて、多分間は6週間くらいだったけど、ちゃんとまたキマシタ。

もともと生理痛とかないタイプだったから、それはいいんだけど、やっぱりウザったいし気分もイライラするし、こんなモノなくてもいいのにな~と思う。
そしてタモを飲んんでるお陰で頻度はちょっと減ったような気もするけど(気のせい?)ホトフラもあり、関越痛もなくならない。

何だかこれ、三重苦?

主治医のオンコロジストDr. Cに報告したらもちろんタモ続行。
生理がきてる間は閉経をチェックするホルモンレベルの検査をする必要もないんだって。
12ヶ月続けて生理がこなかったらまた検査しましょうだって。

生理を止める注射のリュープリンだっけ?・・・の事も聞いてみようと思ってたのに忘れた~


えーと、それからBravaでの再建についてなんだけど、本当ならもう一回目の手術も終わってるはずだったのに実は無期延期となってしまった。

何だか出鼻をくじかれた感じ。
せっかくその気になってたのになぁ~
でもBravaって思ったより大変ってか、面倒なコトも多い。

またこれは改めて報告します。
って、いつのなるんだよ⁇

日本はゴールデンウィークの真っ最中だね~
いいなぁ、私もゴールデンウィークが欲しい!

日本の皆さん Have a great week!



2013.03.12 Shout Out to Japan


震災の2周年にシアトルから日本へ応援のメッセージを送ろうという企画のイベントも無事に終わった。

会場には思ったより沢山の人が来ていて驚いた。
日本人や日系人だけじゃなく、いろんな人が少しでも力になりたいと寄付金を持ってきてくれるのを見て、この国の人々の温かさを感じた。

当日の朝、悲しいニュースが届いて重い気持ちで出かけて行ったんだけど、歌う前に一瞬色んなコトが頭の中を巡って泣きそうになったけど、今の自分の気持ちを込めて一生懸命歌った。

花は花は花は咲く いつか生まれる君に~
花は花は花は咲く 私は何を残しただろう~

最後は会場も一緒になって歌った。

歌い終わったら会場から長い拍手を頂いてまた泣きそうになった。

震災も病気も道理では説明できない不公平な世の中だけど、一人一人の思いやりの気持ちが集まれば、きっと乗り越えていけるはず。
いや、乗り越えていかなきゃいけない。

今こうして元気でいられる事に感謝してまた次の一歩に向かって進んで行くことが今の私にできる事。

これからもシアトルから日本を応援して行きます。
No.134 / つぶやき / Comment*4 // PageTop


Profile

ミライ

Author:ミライ
横浜出身
アメリカシアトル在住

■ 2010年8月
42歳で浸潤性乳管がん Stage IIbとの診断を受ける。
タイプ:ER(+) PR(+) HER2(-)

■ 2010年10月
右乳房全摘手術

■ 2010年11月~2011年2月
Chemo Therapy(TC療法)

■ 2011年02月~現在
ホルモン治療中

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